ピンク・スター、宝石世界記録8,302万ドルで落札——勝者は代金を払えなかった
2013年秋、ジュネーブのホテルの一室で、ひと粒のダイヤモンドに宝石史上最高の値がついた。8,302万ドル。会場が沸き、落札者の名が読み上げられる。だが数か月後、この世界記録は静かに取り消される。代金が、支払われなかった。
5分間で生まれた世界記録
2013年11月13日、サザビーズがレマン湖畔のボー・リヴァージュ・ホテルで開いた宝飾オークション。その夜の主役は、59.60カラットの巨大なピンクダイヤ「ピンク・スター」だった。楕円形にカットされたこの石は、米国宝石学会(GIA)がそれまでに鑑定したファンシー・ヴィヴィッド・ピンクのなかで最大、しかも内部に傷ひとつない「インターナリー・フローレス」だという。
競りは、わずか5分。サザビーズの宝飾部門会長デイヴィッド・ベネットがハンマーを振り下ろしたとき、価格は手数料込みで8,302万ドル——当時のレートでおよそ83億円に達していた。オークションで取引された宝石として、当時の世界最高額だった。落札したのは、ニューヨークのダイヤモンドカッター、アイザック・ウルフ。彼は石を「ピンク・ドリーム」と呼ぶつもりだと語った。
払えなかった落札者
その夢の名は、長く続かなかった。
翌2014年2月、サザビーズは決算発表の場で、ウルフが代金を支払えず取引が不履行になったと明かした。落札に伴う手数料収入は取り消され、ダイヤは約7,200万ドルで自社の在庫に計上された(NBCニュース)。このオークションにはサザビーズ自身が一定額を保証する契約がついており、買い手が消えたいま、世界記録の石を抱え込んだのは、ほかならぬオークションハウス自身だった。
「この評価額には十分納得しているし、この値段で石を持つことに本当の価値を見ている」。当時のサザビーズ最高財務責任者は、アナリスト向けの電話会議でそう述べている。強がりとも、確信とも聞こえる言葉だった。
アフリカの原石から
この石の来歴は、1999年に遡る。デビアスが南アフリカで掘り出した132.5カラットの原石を、職人が2年がかりで磨き上げ、59.60カラットの完成石にした。当初は所有企業の名にちなんで「スタインメッツ・ピンク」と呼ばれ、2003年にはワシントンのスミソニアン博物館で一般に公開されている。指輪に収まるほどの大きさでありながら、その色と透明度には、ほとんど比べる相手がいなかった。
4年後の、本物の記録
宙に浮いたままの世界記録に決着がついたのは、2017年のことだ。
サザビーズは舞台を香港に移した。4月4日、富裕層が集まるこの都市で、ピンク・スターはふたたび競売にかけられる。今度も競りは数分で終わった。三者が値を競った末、香港の宝飾大手・周大福(チャウ・タイ・フック)が、HK$5億5,300万——日本円でおよそ114億円(7,120万ドル)で落札する。あらゆるダイヤモンドの競売として、史上最高額だった。周大福はこの石を、創業者を偲びブランド88周年を記念して、「CTFピンク・スター」と改めている。
正式な世界記録となったこの7,120万ドルは、4年前にウルフがつけた幻の8,302万ドルには、届いていない。会場を沸かせた最高額は記録に残らず、それより低い、しかし確かに支払われた金額のほうが、「本物の記録」として刻まれた。
拍手で迎えられた数字は、誰のものにもならなかった。ダイヤはいま、新しい名を与えられて、香港の宝飾ブランドの手のなかにある。最も高い値で落札された宝石ではなく——最も高い値で落札され、そして代金が支払われた宝石として。その小さな但し書きの差が、4年という歳月だった。
- [1] CNN「'Pink Star' diamond sells for record $71.2 million at auction」(2017年4月) — www.cnn.com
- [2] artnet News「Pink Star Diamond Sets Record With $71.2 Million Sotheby's Sale」(2017年4月) — news.artnet.com
- [3] NBC News「Buyer Defaults on Pink Star Diamond, Sotheby's Takes Ownership」(2014年) — www.nbcnews.com
- [4] NPR/KCUR「'Pink Star' Diamond Sells For $71 Million, Smashing Auction Record」(2017年4月) — www.kcur.org