世界のオークションに流れ着いた品々の物語。
仰天の高額落札

マラドーナ「神の手」のシャツが約15億円で落札——スポーツ記念品の世界記録に

Diego Maradona 1986 World Cup Match-Worn Shirt(マラドーナ 1986年W杯着用シャツ)

イングランド代表を嘲笑うようにすり抜けた「5人抜き」と、審判の死角で拳を使って押し込んだ「神の手」。1986年メキシコW杯の準々決勝で、ディエゴ・マラドーナがわずか4分のあいだに決めた二つのゴールは、どちらも同じ一枚の青いシャツとともに記憶されている。試合後にそれを受け取り、35年あまり手元に置いたのは、よりにもよって、そのゴールに沈められた側のイングランド代表選手だった。2022年、シャツはサザビーズで7,142,500ポンド――日本円にしておよそ15億3,600万円で落札され、スポーツ記念品として史上最高額の値をつけた。

ずるさと天才を、続けざまに

1986年6月22日、メキシコシティのアステカ・スタジアム。W杯準々決勝アルゼンチン対イングランドは、ただの一戦ではなかった。両国は4年前にフォークランド(マルビナス)諸島をめぐって戦火を交えていて、ピッチの外の感情がそのまま90分に持ち込まれていた。

後半6分、マラドーナはゴールキーパーのピーター・シルトンと跳び合いながら、頭で当てたように見せかけて、実際には左の拳でボールをゴールへ押し込んだ。審判は反則を見抜けなかった。マラドーナは後に、あれは「マラドーナの頭で少し、神の手で少し」決めたものだと語っている。

それから4分後、今度は自陣からドリブルを始め、イングランドの選手を次々と置き去りにして、最後はシルトンの脇を抜いた。2002年のFIFAの投票で「世紀のゴール」に選ばれることになる一撃である。狡知と妙技、その両極を同じ選手が4分で見せた。アルゼンチンは2-1で勝ち、この大会をそのまま制した。

受け取ったのは、抜かれた側の男

「神の手」の場面でマラドーナにボールを送ってしまったのは、イングランドのミッドフィルダー、スティーブ・ホッジだった。意図しないバックパスが相手のエースに渡り、あの一点が生まれた。試合後、通路でシャツの交換を申し出たのもホッジである。こうして彼は、自分たちを敗退させた二つのゴールの「証拠品」を手にした。

ホッジはそれを売らなかった。35年以上にわたって所有し、うち20年ほどはマンチェスターのイングランド・サッカー博物館に貸し出して一般に公開してきた。2020年11月にマラドーナが亡くなったあとも、当初は「売る気はない」と公言し、売却を取り沙汰する報道を「無礼で、まったく間違っている」と退けたこともある。それが2022年4月、サザビーズでの出品という形で翻った。

シャツが二枚あった、という点はのちの論争の火種になる。メキシコシティの酷暑のなか、監督カルロス・ビラルドが綿の正規ユニフォームの重さを嫌い、この試合に向けて軽いシャツが別に用意されたとされる。アルゼンチンには青いシャツが複数あったのだ。

終了17秒前、アルゼンチンには届かなかった

入札は2022年4月20日から5月4日まで、オンラインで行われた。サザビーズの事前予想は400万〜600万ポンド。初日のうちに早くも下限の400万ポンド(約500万ドル)に届く入札が入り、最終的に7人が競り合った。木槌が下りたのは7,142,500ポンド。手数料込みの総額で、スポーツ記念品の落札額として当時の世界記録となった。それまでの記録は2019年の近代五輪マニフェスト(約880万ドル)、試合着用品にかぎればベーブ・ルースのヤンキースのユニフォーム(約564万ドル/約440万ポンド)だったが、マラドーナの一枚はそのどちらも上回った。

サッカーのユニフォームでは長らく、1970年W杯決勝のペレのシャツが最高額とされ、2002年に約15万8,000ポンドで落札されていた。マラドーナの一枚は、その45倍ほどにあたる。

この競りには、アルゼンチン側の思いも乗っていた。世界最大のユニフォームコレクションを持つというアルゼンチン人収集家マルセロ・オルダスは、報道によれば、シャツを母国に持ち帰ろうと750万ドルまで競り上げたが、終了の17秒前に競り負けた。地元ラジオで彼は「みんなと分かち合えなかったのが悲しい」と語っている。落札者の名は明かされなかった。

「それは前半の、別のシャツだ」

出品が報じられると、マラドーナの遺族が異議を唱えた。長女のダルマと元妻のクラウディア・ビジャファニェは、ホッジが持っているのは前半に着ていたシャツで、二つのゴールを決めた後半のシャツは別の人物の手にある、と主張した。高温のためにディエゴはハーフタイムでシャツを替えたのだ、というのが言い分である。アルゼンチンからは遺族や記念品業者、サッカー協会の関係者がロンドンに渡り、自分たちで競り落とそうとしたとも報じられた。

サザビーズは引かなかった。専門会社レゾリューション・フォトマッチングによる照合の結果として、マラドーナが試合中にシャツを替えたことは事実だが、出品されたこの一枚は後半の二つのゴールの場面と一致する、と説明している。エンブレムの縫い目や、ストライプに対する背番号の位置といった細部が、前半のシャツとは異なるのだという。加えて、マラドーナ自身が自著のなかでホッジとシャツを交換したことを認めている、とも添えた。どちらの主張も確かめようのない部分を残したまま、競りは終わった。

「二度と表には出ない」はずだった

落札の直後、サザビーズの担当者は、これを買った人物はおそらく二度と表には現れないだろう、と述べていた。

ところが、その予言は数か月で裏切られる。シャツは2022年秋、ドーハの3-2-1カタール五輪・スポーツ博物館に貸し出され、W杯開幕に合わせた特別展の目玉として、ふたたびガラスの向こうに掛けられた。会期は翌2023年4月まで続いた。落札者が誰なのかは、今も公にはされていない。

イングランドの選手が抱え、アルゼンチンが買い戻せず、競売人が「消える」と見立てた一枚は、二つの国のどちらでもない場所で、次のW杯を見物客に眺められて過ごした。あれは本当に後半のシャツだったのか――ブエノスアイレスでは、その問いがまだ静かにくすぶっている。

出典 SOURCES
  1. [1] Sotheby's 出品ロットページ(Diego Maradona 'The Hand of God' & 'Goal of the Century' World Cup Shirt) — www.sothebys.com
  2. [2] ESPN「Maradona's 'Hand of God' jersey sells for world-record price at auction」(2022年5月) — www.espn.com
  3. [3] BBC Sport「Maradona's 'Hand of God' shirt to be sold at auction」(2022年4月) — feeds.bbci.co.uk
  4. [4] Malay Mail / Reuters「Maradona's 'Hand of God' shirt headlines Qatar exhibit during World Cup」(2022年10月) — www.malaymail.com