世界のオークションに流れ着いた品々の物語。
仰天の高額落札

ベーブ・ルース『予告ホームラン』のユニフォーム、史上最高額2,412万ドルで落札

Babe Ruth 1932 WS Called Shot Jersey(ベーブ・ルース 予告ホームランのユニフォーム)

2024年8月、ダラスでの競りは日曜の未明まで続いた。6時間を超える競り合いの末に木槌が下りた数字は、2,412万ドル。スポーツ記念品の落札額として、それまでの記録をほぼ倍に塗り替えた。落札されたのは、一枚の灰色のフランネル——ベーブ・ルースが「予告ホームラン」を放ったとされる、あの試合のユニフォームである。ただし、この一枚には二重の謎がついて回る。本当に予告したのか。そして、本当にあの試合の一枚なのか。

灰色のロードジャージ、一枚

ヘリテージ・オークションズが2024年5月に出品を発表したとき、同社は早くも、これがスポーツ記念品の史上最高額になると予告していた。スポーツ部門責任者のクリス・アイビーは、これを「これまでオークションに出た中で最も重要なアメリカのスポーツ記念品」と呼び、美術品にたとえるなら「モナ・リザを買うようなものだ」と語っている。

品物は、ニューヨーク・ヤンキースの背番号3、ロード用の灰色のユニフォーム。ルースが1932年ワールドシリーズ第3戦で着ていたとされる一枚で、一般の目に触れるのは2005年以来、19年ぶりのことだった。

指を差したのか、差さなかったのか

舞台は1932年10月1日、シカゴのリグレー・フィールド。ヤンキースとカブスのワールドシリーズ第3戦、5回。スタンドを埋めた観客はルースに罵声を浴びせ、カブスの選手までベンチを出て野次ったと伝わる。マウンドにはチャーリー・ルート。追い込まれたカウントで、ルースは外野——センターの方向へ手を上げた。次の球を、彼はスタンド深くへ運んだ。

「予告ホームラン」と呼ばれるこの場面が厄介なのは、それを裏づける記録がほとんど残っていないことだ。当時の映像は二本あるが、いずれも不鮮明で、片方は40年ほど前にようやく見つかったものだという。試合の直後に「狙いを定めて予告した」と書いた報道は、当時ほぼ一紙のみ。ニューヨークの夕刊紙の見出しが「ルース、本塁打を予告」と打ったあたりから、物語は走り出した。

ルース自身は、生涯にわたって予告を否定しなかった。「センターを見て、指を差した。次の球を旗のポール脇まで飛ばすと言ったんだ」と本人は語っている。一方で、後年の検証の多くは、これは予告などではなく、野次るカブスのベンチかルート自身を指したものではないか、と見ている。指差しが何を意味したのかは、いまも決着がついていない。ただ、これがルースにとって最後のワールドシリーズで、この一発が彼のシリーズ最後の本塁打になったことは動かない。

15万ドルから始まった階段

ユニフォームそのものの来歴も、長らく霧の中にあった。

ヘリテージの説明では、ルースは引退後もこのジャージを残し、のちにフロリダの知人の手に渡った。その知人がルースとのゴルフの賭けで勝ち取ったものだ、という来歴も語り継がれている。はっきりしているのは、ここから先をオークション記録がたどれることだ。1990年前後、ある収集家がこれを15万ドルで手に入れる。1999年、グレー・フランネル・オークションズに出されたときの説明書きは「1930年のルースのロード用ユニフォーム」。落札額は28万4,000ドルで、ベーブ・ルース博物館に貸し出された。この時点で「予告ホームラン」の文字はどこにもない。

転機は2005年だった。三たびグレー・フランネルに持ち込まれたこの一枚は、縫製や文字の形・位置の照合をもとに、初めて「予告ホームランのジャージ」として売りに出される。落札額は94万ドル。そして2024年、同じ一枚が2,412万ドルになった。15万、28万、94万、2,412万——19年でおよそ25倍に跳ね上がった数字の階段は、写真照合という技術が記念品の値段をどこまで変えうるかの記録でもある。

「該当なし」と返ってきた手紙

ところが、その照合をめぐって、競りの前に静かな波風が立っていた。

2005年にこのジャージを94万ドルで落札したのは、ニュージャージーの眼科医リチャード・アングリストだった。彼は2019年から2022年にかけて、写真照合の大手レゾリューション・フォトマッチングに三度、ジャージを送っている。狙いは、値段を一気に押し上げる「確定的な一致」の証明書だった。だが、その手紙は届かなかった。レゾリューションは三度とも、一致を出さなかった。創業者のジョン・ロビンソンは取材に対し、多額の報酬と宣伝効果を見送ることになった、上得意の不興は承知のうえだった、と語っている。

アングリストは別の会社に持ち込む。エンド・トゥ・エンドという、当時ほとんど無名で高額ジャージの照合実績も見当たらない会社が、2022年に「一致」を出した。翌2023年には大手のメイグレイも一致を出す。ほどなく、鑑定大手のPSAがそのエンド・トゥ・エンドを買収した。

ヘリテージ当初の出品ページに、レゾリューションへの三度の照会の件は載っていなかった(のちにレゾリューションの所見が追加されている)。アイビーはこの点を問われると、ジャージの裏づけに揺るぎはないと応じ、レゾリューションの見解は「この件には何の関係もない」と切って捨てた。さらに、誰かが入札を冷やそうと騒ぎを起こしているのではないか、とも示唆している。

それでも、これがルースの試合着用ジャージであること自体は、業界の見方がおおむね一致している。争点はあくまで「あの予告の試合の一枚か」という一点に絞られていた。

競りは下限なしで始まった。開始値は750万ドル。17人が札を入れ、終盤の数時間は値が止まらなかった。閉幕の数日前には、ジョーダンの1998年NBAファイナル第1戦のジャージが持っていたユニフォーム最高額、1,010万ドルをすでに超えていた。最後の数字は、2,412万ドル。マントルの1952年カードが持っていた記念品全体の記録(1,260万ドル・2022年)を、ほぼ倍に上回った。20%のバイヤーズプレミアムを含む総額である。アイビーが見込んだ3,000万ドルには届かなかったが、記録は記録だった。

六枚のうちの一枚

落札者の名は明かされていない。匿名を望んだとだけ伝えられ、その後の所在も公にはなっていない。

スケール感は、残された数に表れている。ルースの時代、選手に支給されるユニフォームはホーム用とロード用に一、二枚ずつ。15年のヤンキース在籍でも、彼が袖を通したジャージは40枚に満たなかったはずだ、と業界は見る。その大半が失われ、なかには野球カードに封入するため公然と裁断されたものまである。いま公的機関と個人の手元に残るルースの試合着用ジャージは、わずか六枚ほどとされる。

その一枚が、2,412万ドルの値をつけた。

予告は本当にあったのか。あの試合の一枚なのか。二つの問いは、どちらもはっきりとは決着していない。確かなのは、その不確かさのうえに史上最高額がついた、という事実のほうだ。灰色のフランネルは、いまどこかの個人の手のなかで、二つの伝説を畳んだまま静かにしている。

出典 SOURCES
  1. [1] ヘリテージ・オークションズ プレスリリース(2024年8月25日) — www.ha.com
  2. [2] ESPN「Babe Ruth 'called shot' Yankees jersey fetches record $24M」(2024年8月25日) — www.espn.com
  3. [3] cllct「Babe Ruth 'Called Shot' jersey sells for record $24.12 million」(来歴・写真照合論争/2024年8月26日) — www.cllct.com
  4. [4] AP通信/NBC News「Babe Ruth's 'called shot' jersey sells at auction for over $24 million」(2024年8月25日) — www.nbcnews.com