世界のオークションに流れ着いた品々の物語。
奇妙・珍品

ナポレオンの「一物」、パリの競売で3,000ドル——落札者は米国の泌尿器科医

Napoleon's Penis(ヴィニャリ・コレクションの標本)

1821年5月、絶海の孤島セントヘレナ。退位した皇帝の遺体が解剖台に横たわり、十七人が見守るなか、執刀医のメスは胴体だけでなく、ある「小さな部分」にも及んだ——とされる。それから一世紀半。司祭の遺品から書商の手へ、ニューヨークの展示ケースからパリの競売台へと流れたその標本は、1969年にはロンドンで買い手がつかず、八年後にようやく3,000ドルで一人のアメリカ人医師に引き取られた。競売史でもっとも口にしにくいロットの話である。

五番街のガラスケース

1927年、マンハッタンの五番街599番地にあったフランス美術館。ガラスケースに収められた小さな標本が、来館者の好奇の視線を集めていた。陳列したのは稀覯本商アブラハム・ローゼンバック。パリの古書業界で「本のナポレオン」と呼ばれた男である。ケースを覗き込んだ『タイム』誌の記者は、それを「ひどい扱いを受けた鹿革の靴ひもの切れ端のよう」と書きとめた。別の者の目には「干からびたウナギ」に映ったという。

それが何であるかは、館内でひそひそと囁かれていた。ナポレオン・ボナパルトの——という触れ込みの、あの部分だった。

解剖台から持ち出された「肉片」

ナポレオンは1821年5月5日、イギリスの監視下に置かれた南大西洋の孤島で没した。翌日、コルシカ出身の医師フランチェスコ・アントンマルキが、十七人の立会人の前で遺体を解剖する。標本の来歴をさかのぼると、この場面に行き着く。もっとも、ここから先は確かな記録のない伝承の領域だ。

近年の所有者は英チャンネル4の取材に、皇帝の従者が「我々はいくつかの部位を切り取った」と書き残しており、目録では長らくそれが「腱」や「肉片」と記されてきた、と語っている。皇帝を恨んでいた人物が解剖のどさくさに切り取った、という尾ひれもつく。だが、それが本当にナポレオンの体の一部なのか、そもそも本当に「あの部分」なのかを裏づける一次資料は、いまだ存在しない。真贋は宙づりのままである。

確かなのは、皇帝の臨終に立ち会った司祭アンジュ・ヴィニャリの遺品のなかに、この標本が紛れ込んでいたことだ。ヴィニャリは遺体から分けられた品々の一部を受け取り、1821年の暮れにコルシカへ持ち帰った。やがて「ヴィニャリ・コレクション」と呼ばれるようになる一群のナポレオン遺品は、こうして一族の手から世に出ていく。

書商たちが持て余した品

1920年代、コレクションはローゼンバックの手に渡る。彼はこの標本を青いモロッコ革とビロードの箱にうやうやしく収め、1927年に件の五番街で公開した。話題づくりの名手らしいやり方だった。

その後の持ち主は、ニューヨークの法律家にして蔵書家ドナルド・ハイド、ローゼンバックの後継者ジョン・フレミング、そして書籍・自筆物のディーラー、ブルース・ギメルソンへと移っていく。ギメルソンは三万五千ドルでコレクション一式を買い取ったものの、転売先が見つからない。困り果てた彼は、仕入れ値と同じ額を最低希望価格に設定し、1969年、ロンドンのクリスティーズにコレクションを丸ごと委託した。

結果は不発。買い手はつかなかった。このとき英国のタブロイド紙が打った見出しが、語り草になっている。「今夜はだめよ、ジョゼフィーヌ」。皇帝が妻に向けたとされる有名な台詞をもじった、品はないが忘れがたい一行だった。

一インチ千ドルの値づけ

八年後の1977年、ギメルソンは今度はパリへ向かう。コレクションはオークション会場ドルオー・リヴ・ゴーシュで、今度はばらばらに分けて売りに出された。問題の標本を3,000ドルで競り落としたのは、コロンビア大学医学部で泌尿器科主任を務めた名誉教授、ジョン・K・ラティマー。ニュージャージー州エングルウッドに住む現役の医師でもあった。

3,000ドルという値段には、まことしやかな逸話がついて回る。標本の長さは約1.5インチ、四センチに満たない。一インチあたり千ドル、という人を食った「鑑定」がなされたのだ、と。もっとも、それだと計算は合わない。

ラティマーは筋金入りの蒐集家だった。リンカーンが撃たれた夜に着けていた血染めの襟、ニュルンベルク裁判でゲーリングが服毒に用いた青酸カリのカプセル、ケネディが狙撃されたダラスのリムジンの内張り——歴史の暗部に触れた品々を集めていた。皇帝の標本は、その棚にすんなり収まった。

ただ、彼は買ったきり、誰にも見せなかった。机の下にしまい込み、人に問われても口をつぐむ。家庭では決まって「ナポレオンの品」とだけ呼ばれたという。後年、娘がその理由を明かしている。父は、泌尿器科は品位ある真面目な医学であって笑い物にすべきではないと考えていた、と。世間の好奇の的を、あえて表舞台から退場させること。それがこの落札の動機だった。

机の引き出しの中の皇帝

2007年、ラティマーは九十二歳で世を去る。標本は娘のエヴァン・ラティマーが受け継いだ。少なくとも十万ドルで譲ってほしいという申し出があったと伝えられるが、彼女は売りに出していない。標本はいまも、オークション会場から届いたときのままの、モノグラム入りの箱に収められているという。これまで実物を見た者は十人ほど。撮影も録画も、彼女は許していない。

それでも来歴を尋ねられれば、エヴァンは淡々と答える。大学でX線撮影や検査が行われ、構造的に完璧で、明らかにそれと分かるものだ、と。真贋論争に決着はついていないが、所有者の側はその正体を疑っていない。

ナポレオンの没後二百三年にあたる2024年、米紙が連絡を取ったとき、エングルウッドに暮らす七十代のエヴァンは、この「フランス人の家族」についてのコメントを控えた。

ヨーロッパを震え上がらせた男の最後のかけらは、ロンドンでは買い手すらつかず、パリでもたった3,000ドルで引き取られ、以後半世紀、机の引き出しに眠っている。注目を消すために買われたはずの品が、こうして語り継がれていること自体が、たぶんいちばんの皮肉なのだ。

出典 SOURCES
  1. [1] Napoleon's penis — Wikipedia — en.wikipedia.org
  2. [2] Napoleon's Penis, and Other Napoleon Memorabilia(Charles Hamilton『Auction Madness』に基づく来歴) — www.historyofinformation.com
  3. [3] Napoleon's Private Parts On Fifth Avenue — New York Almanack(ヴィニャリ・コレクションの流転) — www.newyorkalmanack.com
  4. [4] Napoleon's Penis lives up to its reputation — Channel 4(現所有者エヴァン・ラティマーの証言) — www.channel4.com