メルセデス300SLR、約250億円で自動車史上最高額——門外不出だった博物館の秘蔵車
一度もレースに出ることなく、メーカーの手元で67年間眠っていた2台のうちの1台。その車に、2022年、約250億円の値がついた。メルセデス・ベンツが自社の博物館で開いた招待制の競売で、1955年製の「300SLRウーレンハウト・クーペ」は1億3,500万ユーロで落札された。自動車がオークションで記録した史上最高額であり、それまでの記録を一気に約3倍へ押し上げた額である。
博物館が手放した「門外不出」
メルセデス・ベンツは1,100台を超える非公開コレクションを抱えるが、なかでも300SLRウーレンハウト・クーペは長く「売り物にはならない」象徴とされてきた。現存するのは世界に2台だけ。そのうちの1台が、2022年5月5日、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館で売りに出された。
一般公開のオークションではない。同社の顧客や、車と美術品の国際的なコレクターだけが招かれた、ごく内輪の競売だった。メルセデスがこの売却を公表したのは、競売から2週間後の5月19日のことである。
ル・マンの悲劇が生んだ2台
そもそもこのクーペは、市販を前提に造られた車ではない。1955年、メルセデスはF1で2度の世界王者となったW196グランプリカーを下敷きに、排気量を3リットルへ拡げたスポーツカー「300SLR」で耐久レースを席巻していた。クローズドボディのクーペ版は、翌シーズンの実戦投入を見込んだ試作車として、わずか2台だけ組み立てられた。
ところがその年の6月、ル・マン24時間レースで同社の300SLRが観客席に飛び込み、ドライバーのピエール・ルヴェーと観客あわせて80人以上が命を落とす惨事が起きた。メルセデスはシーズン限りでモータースポーツから撤退し、2台のクーペは走る舞台を失う。
行き場をなくしたうちの1台を、開発を率いた技師ルドルフ・ウーレンハウトが社用車として乗り回したことから、車は彼の名で呼ばれるようになった。最高速度はおよそ時速290キロ。公道を走れる車としては、当時もっとも速い一台だった。会議に遅れたウーレンハウトが、ミュンヘンからシュトゥットガルトまでの約220キロを1時間あまりで駆け抜けた——という逸話が残る。通常なら2時間半はかかる道のりである。
値は4,840万ドルの先から始まった
入札の出発点からして異例だった。それまでの自動車オークション最高額は、2018年にRMサザビーズが扱った1962年式フェラーリ250GTOの約4,840万ドル。今回の競りは、その記録額を最初の声から上回っていた。
この売却を実現させたのは、英国出身のクラシックカー・ブローカー、サイモン・キッドストンだった。彼は「世界で最も欲しい車」と信じるこの一台をめぐり、1年半にわたってメルセデスの経営陣に売却を働きかけたとされる。落札額は1億3,500万ユーロ、約250億円。RMサザビーズは、この価格が「あらゆる収集分野を通じて、オークション史上もっとも高額な品の上位10位」に入ると説明した。1台の車が、世界の名画と肩を並べる値段で取引されたことになる。
収益のゆくえ、買い手の沈黙
メルセデスは、売却益を「メルセデス・ベンツ基金」の設立に充てると発表した。環境科学と脱炭素の研究に取り組む若い世代へ、奨学金や研究助成を提供する基金である。歴史的な遺産を未来の技術へつなぐ、というのが会社の説明だった。
一方、これだけの金額を投じた買い手が誰なのかは、いまも明らかにされていない。キッドストンはあくまで代理人で、落札したのは名を伏せた個人コレクターとされる。売却にはひとつ条件が付いた。新しい所有者は、特別な機会にはこの車を公開し続けること。残るもう1台は引き続きメルセデスの所有で、シュトゥットガルトの博物館に展示されている。
レースのために設計され、ついに一度もレースをしなかった車。それが半世紀以上を経て、世界でもっとも高い値のついた自動車になった。約250億円を払った人物の名は、おそらくこれからも明かされない。
- [1] RM Sotheby's 公式(落札発表ページ) — rmsothebys.com
- [2] Mercedes-Benz 公式プレス(メルセデス・ベンツ基金の設立) — media.mbusa.com
- [3] CNBC(落札額・キッドストン・前記録比較/2022年5月) — www.cnbc.com
- [4] Magneto(売却の経緯とウーレンハウトの逸話) — www.magnetomagazine.com