マリー・アントワネットの真珠——予想の18倍、約58億円で落札された王妃の宝石
ひと粒の真珠に、約3,610万ドル。日本円でおよそ58億円。2018年秋のジュネーブで、洋梨のかたちをした古い真珠のペンダントに、それだけの値がついた。事前の予想額は100万〜200万ドル。最終的な値は、その上限のおよそ18倍にあたる。理由ははっきりしている。この真珠をかつて身につけていたのが、革命のさなかにギロチンへ送られたフランス王妃、マリー・アントワネットだったからだ。
世界記録の一打
2018年11月14日、サザビーズがジュネーブのレマン湖畔のホテルで開いた宝飾品オークション。その夜の主役は、「クイーン・マリー・アントワネットズ・パール」と名づけられた、ダイヤモンドと天然真珠のペンダントだった。たった一つの石をめぐって世界中の買い手が競り合い、値はみるみる吊り上がっていく。
叩き落とされた価格——ハンマープライス、つまり手数料を含まない競り落とし価格——は3,200万スイスフラン、ドルにしておよそ3,200万。そこへ落札者が払う手数料が乗って、最終的な総額はおよそ3,643万スイスフラン、約3,610万ドルに膨らんだ。サザビーズはこの金額を、オークションで取引された真珠としては史上最高額だと発表している。
100万〜200万ドルという事前のエスティメート(予想落札価格)は、競りが始まって数分で意味を失っていた。

テュイルリーの夜に運び出された
なぜこの真珠が、二百年あまりを経てジュネーブのショーケースに並んだのか。来歴をたどると、行き着く先はフランス革命の混乱だ。
サザビーズによれば、ペンダントは1791年、王と王妃がパリのテュイルリー宮殿からの脱出を準備していた夜、ほかの宝石類とともに夜陰にまぎれて荷造りされたと見られている。革命派に包囲されつつあった王家は、最も大切な品を国外の親族のもとへ逃がした。包みはブリュッセルの縁者の手を経て、やがて王妃の生家であるオーストリアの宮廷へと渡る。
王妃自身が、この真珠を再び目にすることはなかった。マリー・アントワネットは1793年10月、ギロチンにかけられる。夫のルイ16世は、その9か月前に同じ運命をたどっていた。
宝石は、夫妻の子のうちただ一人生き延びた娘マリー・テレーズに引き継がれ、彼女はのちにこれを姪にあたるパルマ公爵夫人へと遺した。以後、真珠はイタリア王家ブルボン=パルマ家のもとに収まる。表舞台から姿を消したまま、約200年。今回のオークションに出るまで人前に現れなかった品が大半だった、とサザビーズは説明している。
真珠ひと粒の重さ
3,610万ドルという数字は、宝飾品の世界でも飛び抜けている。それまで真珠の最高額とされていたのは、女優エリザベス・テイラーがかつて所有した「ラ・ペレグリナ」で、2011年にクリスティーズで1,180万ドルだった(BBC)。マリー・アントワネットの真珠は、この記録をおよそ3倍に塗り替えたことになる。真珠そのものも長さ約2.58センチと、テイラーの一粒より大きい。
突出したのはこのペンダントだけではない。王妃ゆかりの10点は合計で約4,270万ドル、ブルボン=パルマ家の宝飾品100点を集めたオークション全体では5,310万ドルに達した。これは1987年にウィンザー公爵夫人の宝石がつけた5,030万ドルを超え、王室ジュエリーの競売として新たな最高額となっている。
サザビーズの欧州宝飾部門を統括するダニエラ・マシェッティは、価格がここまで跳ねた理由を、ブルボン=パルマという家の格と、マリー・アントワネットという名前そのものの力に求めている。買い手が支払ったのは、真珠の美しさだけではなかった。革命とともに語り継がれてきた、ひとつの来歴である。
それから
その真珠は、いま、どこにあるのか。
落札したのは匿名を望む個人で、サザビーズは買い手についてそれ以上を明かさなかった。革命を生き延び、二百年を家の奥で過ごし、一夜の競りで世界記録をつけた真珠は、ハンマーが鳴った瞬間にまた人目から消えた。公の場に再び現れたという報せは、いまのところ届いていない。
- [1] Sotheby's「Marie Antoinette's Pearls Break Auction Records in Geneva」(2018年11月) — www.sothebys.com
- [2] BBC News「Marie Antoinette pearl auctioned for record $36m」(2018年11月15日) — www.bbc.com
- [3] CBS News「Marie Antoinette's pearl pendant sells for record $36 million」(2018年11月15日) — www.cbsnews.com