1933年ダブルイーグル金貨——所持は違法、唯一合法の1枚が約30億円で落札
額面はわずか20ドル。1933年にアメリカで作られたその金貨は、本来なら一枚残らず溶かされて消えるはずだった。ところが2021年6月、ニューヨークのサザビーズで、たった一枚が約1,887万ドル——いまの為替でおよそ30億円で競り落とされる。コイン一枚の落札額として、史上最高である。しかも、ややこしいことに、同じ年に刻印された他のダブルイーグルは、持っているだけで違法とされる。これは文字どおり「合法的に買える唯一の一枚」だった。
溶かされるために生まれた金貨
ダブルイーグルは、20ドル金貨の通称だ。意匠を手がけたのは彫刻家オーガスタス・セント=ゴーデンズ。アメリカの硬貨をもっと美しくしたいというセオドア・ルーズベルト大統領の依頼で生まれたデザインで、流通用に作られたアメリカ最後の金貨でもあった。
造幣局は1933年、この金貨を約44万5,500枚打った。だが、一枚も世に出ないうちに歴史が割って入る。世界恐慌のさなかに就任したフランクリン・ルーズベルトは、銀行の取り付け騒ぎを止めるため金本位制を停止し、大統領令6102号で金貨の退蔵を禁じた。造幣局には金貨の発行停止と、手元の金貨の溶解が命じられる。1933年のダブルイーグルは、世に出る前に「なかったこと」にされた。記録のために2枚だけがスミソニアン博物館へ送られ、残りは地金へ戻されるはずだった。
鋳潰しをすり抜けた数枚
ところが、すべてが溶けたわけではなかった。記録によれば、二十枚ほどがフィラデルフィア造幣局から非公式に持ち出されたとされる。市場に流れた個体の多くは、フィラデルフィアの宝石商イズリアル・スウィットの手を経ていた。
奇妙なのは、しばらくのあいだそれが問題にならなかったことだ。1944年までは、1933年のダブルイーグルはふつうに収集家のあいだで売買され、専門誌に広告まで載っていた。値段はおおむね1,000〜2,000ドル。希少ではあっても、隠された存在ではなかった。流れが一変するのは、その1944年に政府が下したふたつの判断による。
王の手に渡った一枚
ひとつめは、エジプト国王ファルークへの輸出許可だった。切手やファベルジェの卵、アスピリンの古い瓶まで何でも集めた人物で、コインだけで8,500枚を超えたという。王の側近は法に則り、アメリカ財務省へ正規の輸出許可を申請する。そして許可は——おりてしまった。造幣局からの盗難が発覚する、わずか数日前のことだった。
許可が出た直後、政府の方針は反転する。ほぼ同じ頃、別の一枚がスタックスの競売に出ようとしていた。なぜ1933年のダブルイーグルが「希少」なのかと記者に問われた造幣局が記録を調べ直し、これらは正規に発行されたものではない——つまり不正に持ち出された造幣局の財産だと結論づけたのだ。ここからシークレットサービスによる執拗な追跡が始まる。市場に現れた個体は次々と回収され、政府の所有物として没収されていった。
国外にある一枚、ファルークのコインだけは別だった。財務省は外交ルートで返還を求めたが、第二次世界大戦が交渉を何年も遅らせる。1952年、クーデターでファルークが王位を追われると、王宮のコレクションは競売にかけられることになり、米政府はあらためてその一枚の返還を要求した。コインは出品リストから外され——そして、行方をくらました。
ウォルドルフ=アストリアの罠
四十数年が過ぎた1996年、消えたはずのコインが姿を現す。ニューヨークのウォルドルフ=アストリア・ホテルで、イギリスのコイン商スティーブン・フェントンがシークレットサービスのおとり捜査にかかり、一枚のダブルイーグルとともに拘束されたのだ。フェントンは当初「店頭で買った」と話したが、のちに供述を変え、これはファルーク王のコレクションにあった一枚だと宣誓のうえで主張した。
刑事訴追は取り下げられ、争いは民事の場へ移る。決め手になったのは、皮肉にもあの輸出許可だった。1944年に政府自身がファルークへの輸出を認めている以上、少なくともこの一枚は合法に国外へ出たことになる。その理屈の前に、政府は折れた。2001年、所有権をいったん政府へ戻したうえで競売にかけ、売上を分け合うという和解が成立する。
翌2002年、サザビーズの競売でこの金貨を落としたのは、靴デザイナーのスチュアート・ワイツマンだった。価格は759万ドル。落札者はさらに、額面の20ドルを造幣局へ支払っている。この一枚を法的に「貨幣化」し、個人が合法に所有できる唯一の存在として確定させるための、象徴的な手続きだった。
それでも「唯一」は揺らがなかった。2005年、スウィットの娘ジョーン・ラングボードが、自宅に同じ1933年のダブルイーグルが10枚あると名乗り出る。鑑定のため造幣局へ預けたところ、コインはそのまま没収された。一家は11年に及ぶ裁判を戦ったが、輸出許可のような後ろ盾を示せず、最終的に所有権を失っている。合法に売買できる一枚は、やはりワイツマンのものだけだった。
30億円、五分間
2021年6月8日、サザビーズのニューヨーク。ワイツマンは生涯かけて集めた「三つの宝」——この金貨と、世界一稀少とされる英領ギアナの一セント・マゼンタ切手、そして印刷ミスで飛行機が逆さに刷られた「逆さジェニー」切手——をまとめて手放した。
金貨の事前予想は1,000万〜1,500万ドル。競りは700万ドルから始まり、室内の三人と電話の一人、計四人の入札者が値を吊り上げていった。決着まではおよそ五分。槌が落ちたとき、価格は約1,887万ドルに達していた。それまでのコイン世界記録は、2013年に1794年銘の銀貨がつけた約1,000万ドル。その記録を、ほぼ倍の額で塗り替えたことになる。額面20ドルの金貨につけられた、およそ94万倍の値だった。
買い手は、名乗らなかった
落札したのが誰だったのかは、公表されていない。同じ売立では著名投資家デヴィッド・ルーベンスタインの落札も報じられたが、彼が手にしたのは「逆さジェニー」切手のほうで、金貨を競り落とした人物は匿名を選んだ。世界一高価な金貨は、いまどこかの私的なコレクションで静かに眠っている。
現存が確認されている1933年のダブルイーグルは、わかっているかぎりで十数枚。その大半は、スミソニアンに収まった2枚と、ラングボード家から没収された10枚——いずれも政府の管理下にある。個人が合法に持てるのは、依然としてこの一枚だけだ。額面20ドル、本来なら名もなく溶けて消えるはずだった金貨が、「お金では買えないコイン」のなかでただ一枚だけ、お金で買える存在として、最も高い値をつけている。
- [1] Coin World「1933 double eagle tops $18.8 million for new record」 — www.coinworld.com
- [2] Smithsonian Magazine(2021年6月) — www.smithsonianmag.com
- [3] NGC「The One That Got Away」(来歴・ラングボード裁判) — www.ngccoin.com