世界のオークションに流れ着いた品々の物語。
呪物・いわく付き

エジプト像セクヘムカ、34億円で落札——博物館みずから至宝を売り、像は消えた

Statue of Sekhemka(書記セクヘムカ座像)

2014年7月10日の夜、ロンドンのクリスティーズで、4400年前のエジプトの書記像に1576万ポンド——日本円にしておよそ34億円(1GBP=214円換算)の値が付いた。古代エジプト美術のオークション史上、最高額である。だがハンマーの音のあとに残ったのは祝祭ではなく、制裁だった。売ったのは、その像を130年あまり預かってきた博物館を運営する、町の自治体そのものだったからだ。

貴族の土産が、町の宝になった

像の名はセクヘムカ。紀元前2400〜2300年ごろ、エジプト古王国時代に書記を束ねた高官だ。高さ76センチの彩色石灰岩には、膝の上にパピルスを広げて座る彼と、傍らに寄り添う妻の姿が刻まれている。BBCによれば、本来は彼の墓に納められるはずの像だった。

それが英国に渡ったのは1850年。第2代ノーサンプトン侯爵スペンサー・コンプトンがエジプト旅行で手に入れ、1880年ごろ、息子の代に町の博物館へ寄贈された。以来、像は英中部の町ノーサンプトンの博物館・美術館で、至宝として人々の前にあり続けた。

「資産」とみなされた像

転機は地方財政の逼迫だった。ノーサンプトン自治体は、総額1400万ポンドの博物館拡張計画の資金源として、セクヘムカ像の売却を決める。クリスティーズが付けた予想落札価格は400万〜600万ポンド。

反発は競売の前から噴き出していた。アーツカウンシル・イングランド(英国芸術評議会)は、売却すれば博物館認定を失いかねないと警告。駐英エジプト大使アシュラフ・エルホリは「博物館は倉庫ではない。要らないのならエジプトへ返すべきだ」と非難した。BBCによれば、自治体は弁護士からも財政目的の売却はすべきでないと助言されていたという。

しかも、売り上げは町が独り占めできるものですらなかった。寄贈者の子孫にあたる現ノーサンプトン侯爵が像の権利を主張し、法的手続きの末、売上の45%を侯爵側が受け取る取り決めが結ばれていた。

競売の夜

それでもハンマーは振られた。当日のクリスティーズ前には売却に抗議する人々が集まったが、満員の競売場で値は駆け上がり、電話入札者が1576万ポンドで競り落とした。予想上限の2倍半を超える額。クリスティーズが「市場に出た中で最も重要なエジプト彫刻」と銘打った像は、その言葉どおりの世界記録を打ち立てた。

地元の保存運動団体「セーブ・セクヘムカ」のメンバーは、その日をこう呼んだ。町の文化史上もっとも暗い日、と。

制裁は3週間で来た

8月1日、アーツカウンシルは警告を実行に移す。ノーサンプトンの2つの博物館を認定制度から除外し、最低5年間、各種助成への道が閉ざされた。10月には英国博物館協会も倫理規程違反として5年間の会員資格剥奪を決定。倫理委員長デイビッド・フレミングは、コレクションは社会からの信託物であり短期の利益のために換金してはならない、と断じた。11月には、町が誇る靴コレクション展のための宝くじ基金助成24万ポンドの申請まで却下されている。

自治体が手にした分け前は800万ポンド余り——約17億円。アート・ニュースペーパーによれば、侯爵側には670万ポンド、約14億円が渡った。

像は、それきり

落札者の名は明かされなかった。英政府は像の文化的重要性を理由に一時輸出差し止めをかけ、国内で買い戻す相手を待ったが、34億円を出せる救い手は現れなかった。2016年4月、輸出許可が下りる。BBCによれば、許可は米国向けに発給されていた。

それきりである。買い手が名乗り出たことはなく、どこかで公開されたという確かな報道もない。アート・ニュースペーパーは2020年の記事でも、像の所在は謎のままだと記している。

ノーサンプトンの博物館はその後、売却益で改装を終えて2021年に再オープンし、2022年12月には8年ぶりに認定資格を取り戻した。ただ、その新しい展示室に、町の一番の宝だけがない。

セクヘムカはもともと、墓の暗がりで永遠を過ごすために作られた像だ。誰の目にも触れない場所に座っているのは、4400年前の設計どおりなのかもしれない。ただし今度の闇は、エジプトの砂の下ではなく、どこかのコレクターの部屋にある。

出典 SOURCES
  1. [1] BBC News「Egyptian statue Sekhemka sells for nearly £16m」(2014年7月10日) — www.bbc.com
  2. [2] Museums Association「Northampton sells Sekhemka statue for £15.8m at auction」(2014年7月11日) — www.museumsassociation.org
  3. [3] BBC News「Northampton Council Sekhemka statue 'now in US'」(2016年10月) — www.bbc.com
  4. [4] The Art Newspaper「'The public need to know the truth'…」(2020年10月) — www.theartnewspaper.com