世界のオークションに流れ着いた品々の物語。
呪物・いわく付き

ジュール・リメ杯レプリカ、予想10倍で落札——2度盗まれたW杯と「本物」疑惑

Jules Rimet Trophy Replica(ジュール・リメ杯レプリカ)

1997年、ロンドンのサザビーズに、初代ワールドカップ優勝杯「ジュール・リメ杯」のレプリカが出品された。事前の評価額は2万〜3万ポンド。よくできた複製としては妥当な値付けだった。ところが槌が下りたとき、価格は25万4,500ポンド——評価額のおよそ10倍、現在のレートで約5,470万円(1GBP=215円換算)に膨らんでいた。入札者たちの頭にあったのは、ひとつの疑念だ。これは本当に、レプリカなのか。

犬が見つけたワールドカップ

ジュール・リメ杯は1930年、第1回ワールドカップのためにフランスの彫刻家アベル・ラフルールが作った、勝利の女神ニケをかたどる高さ35センチのトロフィーである。金張りの銀製で、台座は青いラピスラズリ。第二次大戦中は、ナチスの略奪を恐れたイタリアサッカー協会幹部のオットリーノ・バラッシが銀行の金庫から自宅へ持ち出し、靴箱に入れて隠したと伝えられる。

そのトロフィーが最初に「消えた」のは1966年3月。地元開催のワールドカップを4カ月後に控えたロンドンで、ウェストミンスター・セントラルホールの展示に出された翌日に盗まれた。犯人は身代金1万5,000ポンドを要求し、本気の証拠としてトロフィーの取り外せる部品を送りつけてくる。受け渡し現場で男は逮捕されたが、肝心のトロフィーは持っていなかった。

見つけたのは警察ではない。1週間後、ピクルスという名の白黒のコリー犬が、散歩の途中、ロンドン南部の庭の生け垣の下から紐で縛られた紙包みを嗅ぎ当てた。中身は、世界一のトロフィーだった。

更衣室のすり替え

肝を冷やした英サッカー協会(FA)は、保険を掛けることにした。FIFAはトロフィーの複製を認めていなかったが、FAは秘密裏に職人ジョージ・バードへ製作を依頼する。出来上がったのは、卑金属に金張りを施した精巧な複製だった。

このレプリカを所蔵する国立フットボール博物館によれば、すり替えは1966年7月の決勝でイングランドが西ドイツを4-2で下した直後、ウェンブリーの更衣室で行われた。つまり、その後の祝賀で選手が掲げ、国民が見上げたトロフィーは複製だったことになる。以後1970年まで、公の場に出るのはもっぱらレプリカで、本物は厳重に保管され続けた。

複製の存在を知ったFIFAは態度を硬化させ、引き渡しを要求する。レプリカは表舞台から姿を消し、製作者バードの自宅のベッドの下に潜り込んだ。

リオの夜

1970年、ブラジルが3度目の優勝を果たす。「3回優勝した国が永久に保持する」というジュール・リメの取り決めに従い、本物のトロフィーはリオデジャネイロのブラジルサッカー連盟(CBF)本部のケースに収まった。

1983年12月19日から20日にかけての夜、それは再び盗まれる。陳列ケースの前面は防弾ガラスだったが、背面はただの木板だった。実行犯グループは後に特定されたものの、トロフィーは戻らず、溶かされて金塊になったとする見方が定説となる。ただし、この説には穴がある。本体は純金ではなく金張りの銀で、溶かす旨味は乏しい。英誌フォーフォートゥーによれば、事件で有罪となった金取引業者は「溶かしていない」と証言している。CBFは翌1984年に代わりの複製を新調したが、本物の行方は今日まで杳として知れない。

ベッドの下から競売台へ

1995年、ジョージ・バードが亡くなる。遺族は、長くベッドの下に眠っていたレプリカをサザビーズに持ち込んだ。出品物の肩書きは、あくまで「複製」。それが1997年、25万4,500ポンドまで競り上がった。

匿名の落札者は、ほかならぬFIFAだった。なぜ複製にそこまで出したのか。背景には、更衣室のすり替えにまつわる、もうひとつの疑惑があった——1970年にブラジルへ渡ったのは実はレプリカで、本物は英国に残っていたのではないか。ジャーナリストのサイモン・クーパーが2006年にFIFAへ問い合わせたところ、広報は驚くほど率直に認めたという。「本物と考えられたため、購入を決定した」

錫と鉛の審判

その読みは外れた。購入後の鑑定でも、結果は「複製」。それでも疑念はくすぶり続け、決着がつくのは2016年のことだ。マンチェスター大学の研究チームがCTスキャナーで内部を調べたところ、本物に使われていたはずの銀の痕跡はどこにもなく、強く反応したのは錫と鉛。金色の輝きの正体は、卑金属の上の薄い金張りだった。

レプリカは現在、FIFAからの貸与品として、マンチェスターの国立フットボール博物館に展示されている。一方、本物で現存が確認されているのは、1954年に交換された初代の台座だけ。2015年、チューリッヒのFIFA本部の地下から見つかった。

本物は二度盗まれ、二度目は帰ってこなかった。生き残ったのは、存在を許されなかったほうである。四半世紀をベッドの下で過ごした「偽物」は、いまや初代ワールドカップの面影を伝える唯一のトロフィーとして、ガラスの向こうで静かに光っている。もう、ピクルスはいないのだ。

出典 SOURCES
  1. [1] National Football Museum「The Jules Rimet Trophy replica」 — nationalfootballmuseum.com
  2. [2] FourFourTwo「Missing for 30 years: What happened to the Jules Rimet trophy?」 — www.fourfourtwo.com
  3. [3] VICE「Nazis, Thieves, and a Dog Named Pickles: The Unsolved Mystery of the First World Cup Trophy」 — www.vice.com
  4. [4] LGC Standards「FIFA's World Cup trophies: Fakes and thefts, base metal and gold」 — www.lgcstandards.com